今井さん【弁護士会館】

 ファルージャは危険だと聞いていたが、「迂回(うかい)すれば安全だ」と、バグダッドとの間を五回往復したことがあるドライバーとホテルの人が言ったので決めた。

 四月六日午後十時半ごろ、アンマンを出発、七日午前十一時、ファルージャ手前のガソリンスタンドで拘束された。バグダッド街道の途中、数百人の米軍兵士がいたので迂回し、約十分走ったガソリンスタンドで車が込み、止まった。

 少年がいて「どこの国の人か」と聞き、ドライバーが「日本人だ」と答えると、少年が走り去り、前方の白い車が走り去った。約二十メートル進むと、対戦車ロケット砲と自動小銃を持った兵士がやってきて「移動しろ」と言われた。約四十メートル移動し、民兵十数人に囲まれ、荷物を検査された。群衆も三十−四十人いた。

 アラビア語で「日本人はよくない(死ね)」と言われ、郡山さんが別の車に、私と高遠さんは同じ車に覆面をかぶった兵士に乗せられた。

 助手席と運転席の兵士に手りゅう弾と小銃を突き付けられ「しゃべるな」と言われた。高遠さんは泣いていた。自爆テロをするのかと思った。

 車内で目隠しされ、頭を低くする姿勢をしろと言われた。頭を上げるとたたかれた。一つ目の倉庫に入れられると、目隠しを取られ、五−六人の兵士がいた。うち二人が武器を持っていた。英語を話すジェネラルと呼ばれていた人物に「スパイか?」と聞かれた。「ジャパニーズアーミー、なぜ」とも言われた。

 高遠さんが郡山さんを「カメラマン」、自分について「ファルージャに薬を運ぶ」「ストリートチルドレンを支援している」と説明すると場が和んだ。ジェネラルが「ソーリー、ソーリー」「命は保証する」と言い、大皿に盛られたチキンなどが運び込まれた。

 その後、ビデオカメラを持った人が入ってきて撮影が行われた。ジェネラルに「泣いてくれ」と指示された。「ノー、コイズミ。ノー、コイズミ」と迫られナイフを突き付けられ、髪を引っ張られたりした。ものすごい恐怖を感じた。撮影は二回行われた。高遠さんは泣いていた。撮影後「ソーリー、ソーリー」と何度も言われた。

 「命は保証する」と言われたが、不安で信用できなかった。三日目からは落ち着いた。入れ代わり立ち代わり兵士が来て「米軍が子供や親を殺している」と言っていた。ファルージャの状況は彼らから毎日聞いていた。空爆の音が聞こえることもあった。

 体調は三日目から安定した。五日目に郡山さんが頭痛で動けなくなった。何回も「解放する」という約束を裏切られたので、六日目に高遠さんが何も話せなくなった。

 九日目、門をくぐり、後からモスク(イスラム教寺院)と知った。急に日本語が聞こえた。最初は疑った。この人がキディム・ディアさん。「乾杯しよう」と言われた。アルジャジーラと大使館の人が入ってきた。

【特派員協会】 

 米軍撤退などを訴える方法として、ぼくらを捕まえるしかなかった犯人に恨みは持っていない。

 (国内の否定的な反応には)正直驚いている。今回体験したことを日本の人々に語る責任ができたと思っている。

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郡山さん【弁護士会館】

 ジェネラルと名乗った犯人が「ソーリー、ソーリー」と言った言葉は「(拘束して)申し訳ない」と言う感じで受け取っている。三人とも「彼らは申し訳ないと思っている」と。

 拘束直後は、危ないと思った。スパイに間違えられるのではないかという思いも浮かんだ。

 解放すると言われて何度か裏切られたため、今井君と高遠さんは、落ち込んだ。拘束直後は事態が飲みこめなかった。

 こんなに大騒ぎしている状況を知らなかったというギャップ。自分たちが信念を持ってやってきたと思っていたので、それが完全に否定された感じで、自信喪失もある。

 迂回したとき、三人で戻るか否かを話し合って決めた。結果的に拘束されてしまったが、後悔はしていない。危機管理の甘さはあったが、これを生かして次につなげていこうと思う。

 人道支援という名目で自衛隊を派遣しているが、本当にイラク国民が望んでいるものとは違うのではないかと、帰国してますます感じた。

 犯行グループに日本語を話す人はいなかった。

 彼らはレジスタンスであり、ファルージャを守る自警団。外国人を拘束しメッセージを世界に送るということしかできない不器用な人たち。テロリストじゃない。武器を持って戦っている人は、家族を殺された人ばかりだと聞いた。

 (放映されたビデオの内容は)演出というよりは「泣いてくれ」「おびえてくれ」という命令だった。あの状態では言うことを聞くしかない。

 拘束されている時は(解放の)条件が出ているとは知らなかった。客観的にみて、家族が政府に自衛隊を撤退してくれと願うのは当然。政府が要求を拒否したのは、これから先危険地帯で活躍するNGOやボランティア、ジャーナリストにとってかなり脅威だ。

 外に出られたのはトイレに行くときだけだった。三人で身の上話や雑談をして過ごした。黙った日もあった。二日目までは必ず部屋の中に(犯人が)一人いたが、三日目からは外にいた。食事は三人で食べた。今井君が寝込んだら、犯人が「外で食べよう」といい、犯人と三人が一緒に星空の下で食べたこともあった。

 警察に聞かれたことで、細かいことは言えないが、かなり疑ってかかられていたと思う。

 仕事としては失敗だった。ほとんど写真も撮れず、取材もできずに帰ってきた。

 家族や若い人たちが自衛隊撤退について訴えている姿などを見て、生きて帰ってこられたことを感謝した。

【特派員協会】 

 犯人グループの声明のことは解放後、大使館の人に話を聞いて初めて知った。自己責任とか自業自得とか言われているが、ぼく自身は信念と誇りを持ってやっている。そう言われるのは心外だ。準備ができ次第また行きたいと思う。

 ドバイでの(日本の警察の)聴取では「こうじゃなかったの」と言われ、かなり先入観を持っていると感じた。腹立たしく、被害者なのか加害者なのか分からない。高遠さんの精神状態が落ち着かない理由にはそれもあると思う。

 自衛隊は丸腰で医薬品や食糧、水などを持っていってほしい。それが本当の人道支援だ。

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