いかりや長介さん死去、国民的な笑いをありがとう

 ミュージシャンから人気コメディアン、最近では渋い個性派俳優へと活躍の場を広げてきたドリフターズのいかりや長介さん=本名・碇矢長一=が20日午後3時30分、東京・西新橋の慈恵会医科大学病院で亡くなった。72歳だった。昨年5月末に頸(けい)部リンパ節がんと診断され、手術は行わず放射線治療を受けた。同年7月に仕事復帰したが、今週はじめに体調を崩し再入院。帰らぬ人となった。葬儀・告別式は未定。

「オイーッス」「だめだ、こりゃ」「いってみよー」…。昭和のお茶の間を彩った名セリフの数々。長さんのあの元気な声はもう、聞けない。

 関係者によると、いかりやさんは、今週のはじめに体調を崩し、慈恵会医大病院に入院。夫人の義子さん(67)の必死の看病もむなしく、最後はまるで眠るように静かに息を引き取った。義子さんをはじめ、先妻(離婚)との間にもうけた長女(39)、長男(34)と孫ら親族数人が最期を看取った。

 いかりやさんは昨年春ごろ、首が腫れていることに気づき検査を受けた。その結果、「原発不明頸部リンパ節がん」と診断され、5月28日に緊急入院。がんは極めて早期の発見といわれ、手術を受けず、放射線による治療を選択。約7週間入院して治療を受け、7月17日に退院した。

 その2日後の19日には出演した映画「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」の舞台あいさつに登場。「医者からは『犯罪以外なら何をやってもいい』と言われてます」と得意のジョークで復帰をアピールした。その後は、同年10月スタートのフジテレビ系連続ドラマ「恐怖劇場・あなたの隣に誰かいる」にレギュラー出演するなど体調は万全に見えた。

 だが、今月はじめ、出演するテレビ番組の会見が突然、キャンセルされ、体調を案じる声も上がっていたが、やはり、がんは再びいかりやさんの体をむしばんでいた。関係者によると、退院後も定期的に検査を受け、入退院を繰り返していたという。今週はじめの15日検査で、病状がおもわしくなかったため、そのまま入院。帰らぬ人となった。

 遺体はこの日午後7時すぎに東京・目黒区の自宅に無言の帰宅をした。1階の居間に安置された遺体には、義子さんら家族がずっと寄り添った。

 リーダーの訃報を受け、自宅にはメンバーの志村けん(54)、加藤茶(61)が真っ先に駆けつけ無言の対面。物言わぬリーダーの姿にただただ絶句した。数十分遅れで駆け付けた高木ブー(71)は「バカヤローって言ってやりました」と涙をこらえて話した。遺体と対面した3人は、言葉にならぬほどのショックを受けていたが、「葬式は盛大にやってやろうな」と結束を固めているという。仲本工事(62)は仕事の都合で来られなかった。

 その盟友たちと昨年12月上旬に収録したフジテレビ系特番「ドリフの大爆笑」(同23日放送)が最後の仕事になった。

 いかりやさんはコミックバンド「ザ・ドリフターズ」のベーシストとして活躍。お笑いグループに転身してからは、リーダーとしてときに憎まれ役を演じながら、グループをけん引してきた。同グループが一時代を築いた後は、役者に本格的に進出。美男とはいえない個性的な顔立ちを武器に、哀愁漂う中年、老人を演じ、高い評価を受けていた。

★いかりや長介(いかりや・ちょうすけ) 本名・碇矢長一(いかりや・ちょういち)。昭和6年11月1日、東京都墨田区生まれ。37年ザ・ドリフターズの結成に加わり、39年からリーダーに。同41年に初来日したビートルズの前座で演奏を務めた実績を持つが、次第にコント色を強め、TBS系のお笑いバラエティー「8時だヨ!全員集合」は最高50・5%の視聴率を記録。60年の番組終了後に俳優としてスタートを切り、平成11年に映画「踊る大捜査線 THE MOVIE」で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞。13年自身の半生をつづった著書「だめだこりゃ」を刊行。同年ドリフとしてNHK「紅白歌合戦」に初出場した。私生活では昭和36年に結婚し、1男1女をもうけるが、53年に離婚。翌年に前夫人と再婚したが、前夫人は平成元年に病気を苦に自殺。平成5年に義子さんと結婚した。

★ザ・ドリフターズ★

 昭和39年9月、いかりや長介を中心に、音楽を取り入れて、リズムに乗った新しい笑いを作り出そうと加藤茶、荒井注、仲本工事、高木ブーの5人が集合。ザ・ドリフターズが結成され、日本テレビ「ホイホイ・ミュージックスクール」で番組デビューを果たす。41年8月、日本テレビ「あなた出番です」にレギュラー出演。翌年3月には新宿コマ劇場で1時間のステージを受け持ち、ファンを魅了。44年10月には、後にお化け番組の異名を取るTBS「8時だヨ!全員集合」がスタート(〜60年)。平均視聴率30%以上を誇り、笑いはもちろん、奇抜なアイデア、大道具を使った仕掛けが毎週話題になった。また、番組から「ちょっとだけよ」などの“流行語”も誕生した。45年12月には、「ドリフのズンドコ節」で日本レコード大賞大衆賞、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞した。49年3月いっぱいで荒井注が引退し、4月から新たに志村けんが加入した。平成に入ってからは、各人のキャラクターも生かし、ソロでの活動が目立っていたが、「ドリフの大爆笑」などの特番はファンの支持を得て健在ぶりをアピールした。

★原発不明頚部リンパ節がん★

 がんが発生した部位(原発巣)がごく小さかったり、診断が難しい部位にあるなど、がんが発生した臓器がわからない場合を原発不明がんという。頚部(首のまわり)のリンパ節が腫大する症状の場合を指す。いろいろながんの可能性があるため、外科療法、放射線療法や薬剤による治療が行われる。

http://www.sanspo.com/geino/top/gt200403/gt2004032101.html

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