03月20日付 朝日新聞の報道「いかりや長介さん死去 「ドリフターズ」のリーダー」へのコメント:

 人気番組「8時だヨ! 全員集合」でテレビのお笑いを席巻した「ザ・ドリフターズ」のリーダー、コメディアンで俳優のいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時30分、死去した。72歳だった。通夜は23日午後6時、葬儀は24日午後1時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は長男碇矢浩一(いかりや・こういち)さん。連絡先は、所属事務所で東京都港区赤坂9の6の28のアルベルゴ乃木坂203「イザワオフィス」。

 東京・本所生まれ。高校を中退後、職を転々とした。アマチュアのハワイアンバンドのベース奏者になったことがきっかけで芸能界へ。

 62年、加藤茶、小野ヤスシらと共にウエスタンとロックをこなすバンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に加わった。その後、一部のメンバーが独自の活動を始めたため、64年に仲本工事、高木ブー、荒井注を加えて「ザ・ドリフターズ」を再結成した。日本テレビの「ホイホイ・ミュージック・スクール」でデビューし、楽器を使ったギャグでパンチのある笑いを送り出した。

 67年春、TBSの「ザ・ドリフターズ・ドン」に出演。69年、生中継番組「8時だヨ! 全員集合」がスタートした。大がかりな舞台装置と体当たりのギャグが子どもたちの圧倒的な支持を受け、「お化け番組」の異名を残した。同時に、「食べ物を粗末にする」といった批判や、ストリップまがいの踊りなどで「俗悪番組」とも呼ばれた。

 85年に「8時だヨ! 全員集合」が終了した後は、映画やテレビドラマで渋い脇役として精力的に新境地をひらいて行った。黒澤明監督の「夢」(90年)、山田洋次監督の「息子」(91年)などに出演、98年の大ヒット映画「踊る大捜査線」(03年に続編)では、日本アカデミー賞の最優秀助演男優賞に選ばれた。

 03年5月、原発不明頸部(けいぶ)リンパ節がんと診断され、治療を受けた。まもなく芸能活動を再開、ドラマなどに出演していた。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0320/003.html

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